原曲ファンの気に触るカバー曲は多い
歌は世につれ…と言うけれど。
今のはやりの音楽も時とともにどんどん進んで来ていることは、音楽オンチの私にもなんとか理解できる。
とりわけ歌詞は、「歌は世につれ…」を地で行くようで、詩としての品質はともかく、時代時代にハマってこそ口ずさまれるものだ。
メロディーもリズムにしても編曲も、ほんの数年前とくらべても、ずいぶん複雑な工夫がされ、またコンピュ−タの進歩で技術的にも可能性が広がり、聞き手の心に入り込むように創られてはいる。
そして、そういう新曲の合間合間にリバイバル曲がヒットする。
このリバイバル曲のヒットは、主にコマーシャルソングとして起用されたものが、その時点での若者層に支持されて売れるのがパタ−ン化しているが、そこには広告クリエイターの野心が含まれている場合が普通である。自分の引き出しの中にストックしてある楽曲を、いつ、どこに、どういう使い方で出すか。このタイミングを適中させるのは、ひとつの醍醐味であろう。
そういうプランを商業ベースに載せるには、キャリアを積むことが必要だから、ある世代のクリエイターが、彼等の青春期に引き出しに詰め込んだ楽曲を再び世に出すタイミングというのはだいたい時期が一致する。そうして、十何年かの周期でリバイバル曲がちまたに流れるようになるわけだ。
流行音楽が、一般の家庭で楽しめるようになったのは、レコード、ラジオ、テレビなどの再生装置が茶の間にやってきてからなので、「手軽に」と言ってしまえば敗戦後からこちらの話。しかも初期には、出るもの出るものが「たまげる」ほど目新しいものばかりであった。
それは、音楽ジャンルの数が多くなく「すき間」だらけであったからでもあろう。今に近づくにつれ、その「すき間」を埋め続けて新しいものを創ってきたのだから、もはや「たまげる」ほど目新しい曲なんてものが現出する可能性はほとんどないようにも思われる。
ということは今の若者たちは、びっしりと埋め尽くされた楽曲のジャンルの中から、自分の好みを自由に選択できる特権は持っているのだが、「たまげる」ほど新しい曲に出会う体験をできない不幸な状態にある、とも言えるわけだ。
凄い!と思った曲が、実は新しいものではなく、過去にヒットしていたことを知らされ、何となく「残念」に思う機会が増えていくのかもしれない。
過去のデータはあり過ぎるほどあるけれど、新しい創造のためには、あまり触れないほうが良いのかも知れない。でも、知らなすぎても、新しいと思って創った曲を「昔誰々がやってますよ」と言われるのもなあ。
曲作りも「特許申請」みたいになって行くのか。
いやいや、音楽の事だ。ニッチじゃない、まったく新しいジャンルも出現しないとは言い切れない。
若いアーティストの方々には、その閉塞感をぶち破るような新しい創造を期待しよう。
そしてリバイバル曲も堂々と愉しめば良いんだ。自分たちの世代の曲として。
♪近ごろの若い者はと良くいうけれど、テメエの頃よりヨホドまし…
なんてことを歌ってるじゃないか。